タロット占い概要

Twitter掲載用。

 

Twitterはこちら↓

https://twitter.com/maki102_ym

 

★はじめに

▼タロット勉強中の身です。占い結果に多少のズレや違和感を感じられたら遠慮なく申してください。またその違いや、占いの結果通りにならなかった場合の保証、補償はしていません。

あくまでも占い。決めるのは貴方で、それは貴方の人生です。

▼タロットカードを始め、占いの性質上、同じ悩みでも結果が毎回変わったり結果通りに行かないこともあります

▼タロットカードは「その時のアドバイスをくれる」占いです。5年10年といった長期的な人生の占いは(私が)かなり難しくなります。ご了承ください

▼病気や生死に関すること、霊的な問題、その他私が占えないと判断した場合はお断り致します。

 

 

☆以下で下記の必要事項はこの程度以上教えて頂くことをお願いしています。 

◇悩み事→原則1つ。AとBを占って!は基本受けませんが、Aで悩んでいるが★と☆ならどっちがいい?とかなら大丈夫です(分からなかったら聞いて)

◇年齢→年代(10代、20代、アラサー等)みたいな表現でOK。

◇性別→自分が自覚しているもしくは伝えたい性別で良いです

◇職業→学生、社会人、無職…とりあえずざっくりで構わないので伝えたい程度で伝えてください

占星術等は詳しくないですが生年月日や生まれの星座(太陽星座)も任意で書いて頂けるとより詳しく分かるかも?

 

 

◆質問箱からの占い◆

気軽にと思われるならここから。解答に少々時間を貰います(毎日確認してないので)

▽最低限悩み事だけ投げて頂ければOK。年齢や性別、職業を書きたい分書いて頂けると当たりやすいかも

▽タロット1~4枚でのかんたんな占い

▽文章もわりとさっぱり目でお返しします

 

Twitterからの占い(無償)◆

もう少し細かく聞きたいなー、という方はここから。リプもしくはDMどちらかでやり取りします。即返信は原則しませんのでご了承を。(私も生活がある)

▽年齢、性別、職業、悩み事を伺いますが、言いたくない部分は言わなくてもOK。生年月日等は任意です。

▽タロット7枚(占いの内容によっては3、4枚)~14枚程度

▽原則1度の占いで占うのは1つの悩みですが、それに付随する悩み(出会いが欲しい→どんな人と出会えるか)とか疑問に対しては1、2個程度お答え出来ます。

★オプション

TwitterDMでの占い結果タロット配置写真の送付

→占って頂いた感想を私のID込みでTwitterで呟いていただく&その呟きを私のTwitterやブログで使わせて頂くのを条件にしようかな、と。

こちらはTwitterでやり取りした方限定なので、質問箱等は他ツールは不可です。

 

 

ツイキャスでの占い(無償)◆

稀にラジオ配信をしています。タイミングが会えば肉声の結果が聴けるのでわりと良いと思う。占い以外の雑談もわりとします。

▽年齢、性別、職業、悩み事で占いますが、こちらも言いたくない所は言わなくてもOK

▽タロットは3~12枚程度使いますが調子に乗ると増えます(適当)

▽答える悩みは1つですが付随の悩みや疑問はわりとほいほい答えます。但し1人10~15分程度で収めるようにしています。

▽私は直接話すので出た結果やアドバイスについては多分一番しっかり伝わると思います。楽しい放送にしたいのでそちらだけご協力を。

 

 

 

 

◆有料/個別占い(オンライン通話サービス利用)◆

現状(2019年6月22日現在)、需要が少ないので対応している通話サービス等が少なめです。

 

①鍵付ツイキャスでの占い(30分以内)

ツイキャスにてラジオ配信部屋を設置、鍵付にして私と依頼者のみが閲覧できるようにします。希望がなければ放送履歴は消去し、終了後に希望者には引いたタロットの配置を写真でお送りします。

配信時は私はマイクを使いますが、依頼者様はコラボ参加でもコメント参加でも大丈夫です。


②通話アプリ等での占い(Skype予定・準備中)

こちら希望者さまいれば直ぐに準備します。

通話アプリ・ソフトでの占いです。直接お話させて頂くのでスマホorPCならマイクをご用意ください。

ビデオ配信は原則いたしません。終了後に希望者には引いたタロットの配置を写真でお送りします。


 

料金

★PayPay の送金機能での支払(他対応も検討中)

①基本パッケージ…10分単位/500円 (10分~60分で好きな時間対応可能)

②特別パッケージ…30分/1000円

☆初回有料占い限定 15分/500円も対応可

 

※基本パッケージご指定の場合は事前に希望時間を伝えて頂いた上で、料金の半分~全額を先払いして頂きます。

※パッケージ(30分/初回15分)は原則全額先払いとなります。

※全てのパッケージにおいて延長料金が発生します。(10分/500円)

 

料金は通話時間の中で占い及びそれに関する雑談の会話部分で計算します。

ご希望であれば

・人柄確認の為の雑談

・占い前後のプチ雑談(鑑定15分以上~)

を10分程度無料でさせて頂きます。

占う前にどんな人間か知りたい…という方はこちらをご利用ください。


ツイキャス放送上ではだいたいお一人15分前後でご希望の解答はある程度お渡ししてるかな、という感じなのでキャス聞いたことが無くてどうすればいいのかなーという人はとりあえず初回15分からがオススメです。

 

 

まぁ何かと勉強中なので、不慣れではありますがチマチマやっております。

気が向いたら是非お話しに来てください。

 

 

 

※この内容は随時変更される可能性があります。

最終更新 2019年12月13日

わたしにとっての「占い」

「占いって当たるんですか?」

「どういう占いや占い師さんがいいんですか?」

 

たまに聞く言葉だと思う。

実際はどうなのかはさておき、ここからは私の考え方や持論を述べようと思っている。

 

占いは当たるのか。

「当たることもあれば外れることもある」という無難すぎて面白味のない解答が私から出てくるだけなのだが、そこをちょっと掘り下げて話そうかと。

占いにはいくつかの種類がある、というのはご存知だろうか。

命、卜、相と呼ばれる大きな括りがあり、細かく占星術(星占い)や姓名判断、手相、タロット等々。

その辺は気になる人はググってみると良いと思う。今はインターネットで何でもお手軽に調べられるのだから知っておいて損はないし、何なら直ぐに忘れたって構わないのだ(私は直ぐに忘れるタイプ)。

今回は私がタロットをメインにしているのでそこに重点を置いて話すが、タロットというのは「今の自分や悩みに対する今のヒントが出る」ものだと思っている。

生まれながらにして持ちうる才能とか、今後何歳でどんな人生を送るのかとか、まぁ占えなくはないがそこまで詳しくは出来ない、というのが現状の自分の力量の無さではあるのだけど。

話を戻すと、タロットは今の自分へのヒントであり

今後の自分の運命を全て占うかと言われると決してそうではないような気がしている。

 

例えば、「今のまま努力すれば夢は叶うでしょう」と出たとして。

じゃあ頑張らなくてもいいな、と手を抜いてしまったらそれは叶わなくなってもおかしくない

という(極論的ではあるが)側面もあるのではないか?と私は考えている。

あくまでも占いは占いで、それに縛られるのも可笑しな話なのでそこまで人生を捧げなくても良いとは思うのだけど、それでも時に人はそういう運命とかに対して不安や疑問を抱くのは当然といえば当然なのだろう。

占いは人を全ては救えない。気持ちの支えや不安の解消を手伝うことはあれど、それを実行するのはあくまでも自分であって占いでも占い師でもないのだと。

 

そういうアンバランスさが私はある意味カードに偶然や奇跡、未来へ進む道筋を照らしてくれる何かなのだろう、と思う。

 

そして同時に、どの占いや占い師が良いかというのも一概には言えない。

悩みの種類や知りたいことに合わせて適切な占いを探すのは良いと思うが、特段こだわりがなければ直感やフィーリング…この人、この占いいいな、を信じればいいと思う。

占いという偶然と運命を信じるのなら、まずは自分の直感を信じてみるのも悪くないんじゃないか

なーんて思うわけで。

 

 

だんだん何を言いたかったのか分からなくなってきたが

とりあえず信じるべきは占いよりも自分だと、個人的には考えている。

その中で、「占いを信じる自分」を信じてみるのも悪くないんじゃないんだろうか。

 

 

11/15Twitterまとめ*後出し

https://twitter.com/_kou_akagi_/status/1062727439833387008

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最近のTLで見られる「謝罪文化」の気持ち悪さ|明城こう @kouchan_u|note(ノート) https://t.co/8vraG3t1na
書きました。

整理するためにLINE,TL両方から離れた。許せ。
投げなくて良い一石を投げます。
どう思うかは皆次第です。良心に任せます。

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このnoteやTwitterを受けての自分のTwitter

忘れないためにメモ代わりとして。

 

 

 

▼僕はこのnoteで言うところの「後出しをしてきた」人間なので、その立場として言うなら
僕が後出しをしている自覚はある。卑怯だと思う。でも、そうでもしないと許せなくて受け入れられなかった。被害者になることで僕は救われた。
だけど、だからと言って僕は後出しをした自分を許すことは出来ない

 

▼大っぴらに死体蹴りのように特定の誰かを分かる形でぶん殴ったことはない。だけど僕は、現実で、一対一のコミュニケーションで、その加害者を使って被害者になることで取ってきたマウントがある。
ああ最低だとも。自覚してる。だから、言い出したこの自分の口を、頭を、体を、心を、僕は当分許せない

 

▼被害者面をしていれば、周りは私をどう見るか、を知っていた。最初は本当に被害者だったからね。それを利用した。被害者であることを利用し出した時点で、僕はもう僕に罪を与えてしまったのだと思っている。
そしてこうやって、この場でこんな話をしても、贖罪にもならないというのに。

 

▼僕が、僕を許せるとしたら、僕がねじ曲げた発言全てを取り消して、都合良く覚えている記憶をちゃんと縫合して、真実を言うこと那のだろう。嘘をついている訳ではないが、それくらい根本から直さないとどうにもならないような気がする。
そして、もしそれが実現した時、私は私でいられる自信がない。

 

▼誤字ってるけど勢いで続けるね
私は、私を守ろうとして悪いことをしてきた。きっと今もしている。だから許せない。どれだけ救われたかったとしても、誰かを踏みにじることは許されることじゃない。
真実を話せば嫌われるとか、そういう心配もきっとあったのだろうけど。

 

▼それよりも何よりも、自分の人生の汚点に、汚点を重ねて、そうやってずっと愉悦と快楽に浸っていた自分を知っているから。認めて、繕わなくなるということは、そういう自分を呑み込むことだから。否定はしない。僕はどうあがいても「被害者であり加害者」だった。それを許してくれなんて言わない。

 

▼だけど、誰かに罰されたとして、私は自分が許されるとか変われるとか、微塵も思えないんだ。こうやって過去を綺麗に整形して、まるで何事もなかったかのように話していた自分が無くなるわけじゃないんだから。
だとすれば、私はどれだけ自分を責め続ければ終わる?終わらない。

 

▼誰かに許されて、それで終わる問題じゃないんだ。もう忘れたら?とか許してあげたら?なんて言われたことも幾度かあったけど、許したら、どうなる?
悪かった自分を許して、また愚行を行う?行った罪は消える?悪行は無かったことにはならない。話した言葉は消えない。その事実に苦しむのは誰?

 

▼それは私であり、私を陥れた加害者であり、私に陥れられた被害者だろう。
まともになった思考回路だからこそ思う。私は到底許されない。この呟きすら「後出し」。結局は自分の保身でいっぱいいっぱいなのだから。
それでも、許されなくても、笑って生きることが出来ないわけじゃないのも知っている。

 

▼私はこのまま生きれば永遠に私を許せない。だけどだから罪の意識に溺れて生きることや笑うことを放棄したわけじゃない。
幸せになりたいし、やりたいことはある。腐った性根を叩き直すには少々時間は掛かるけど、日々を穏やかに生きる覚悟はしている。
快楽に依存した過去を、罪を重ねた過去を忘れず。

 

一生苦しむ覚悟をした。
誰かに話して、下ろせる荷物は下ろしている。
この身の丈に合う程度の「覚悟」。
自分が嫌いな自分すら背負う意味。

二度と自ら落ちたりしないと決めただけの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辛くても、苦しくても、例え罪人だろうと

生きて行かなきゃなりませんから。

 

だったら笑って生きるよ。

 

 

 

 

 

夢を追いかけていた話

Twitterで話始めたのだが、思ったよりも暗そうに見えてしまいそうなのでこちらに場所を移す。

言っておくがこんなにネガティブな話をしていても私は平常運転なのであまり気にしないでほしい。

 

 

 

昔。

といってもせいぜい4,5年程前の話になる。

僕には追いかけていた夢があり、その為にたくさん勉強や努力をしていた時期があった。

どんな形になれど、何か好きなことで生きていければ、とすごく思っていた時期があった。

 

あった、と話すのは

その夢は潰され、そして自ら捨ててしまったからなのだけど。

 

努力、勉強、進歩、復習、学び、習い、考え、成長する。

僕には「それ」がない。

これが僕の欠点であり長所である。

 

僕はとある理由で、夢を追いかけられない人生を強いられそうになった。

とはいえ僕の人生だ、その選択肢をぶん投げて夢を追いかけることもできる程度のものだった。

だけど私は、そうではなく

「自らの意志で」夢を捨てた。

努力し、追いかけることを止めた。

それは苦しかったとか、面倒だったとか、その程度の夢だったとか、きっとそういうのもあるのだろうけど

僕がその程度の人間だったというだけの話なのだ。

 

哀れむ声も、多少あった。

今、昔からの傷が塞がりつつあり、もう一度という声もある。自分の中にも、他人からも。

だけどこの身体は、右手は、頭は、わかっている。

「お前には出来ない」と。

 

才能がないからとか、そういうのもあるだろうけど、そもそも僕には熱意がない。

夢を追える程の熱意も、追いかける夢に対しての熱意も。

 

 

 

ないから。

ない、とすれば自分は楽だから。そんな理由。

馬鹿げている、と思いながらも、結局僕は未だにぬるま湯の住人なのだと。

 

これでいい。

これでいいのだ。

 

ぬるま湯に浸っていれば、苦しむ必要などないから。

これでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、ずっと燻るのだけどね。

 

 

 

 

 

Forget+Me+Not(F+M+N)について

 

https://suzuri.jp/maki102_ym


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このようなものを始めました。

Forget+Me+Not(F+M+N)という名前を一応つけてます

勿忘草の英名(forget-me-not)から由来しているもので、「私を忘れないで」という意味と一緒に「忘れるなんて私じゃない」という意味を加えるために+記号を使ってます。

forget(忘れる)+me(私)+not(違う)。

 

画像内にもあるように、私が身に付けたいものを作り上げたいという「My WEAR」シリーズをしばらくここで展開しますが後々は別の場所での販売を考えてます。

自分で作ったアクセサリーとかも出品したいから


で、自分の身に付けたいものと言った以上もちろん製作して着用しています。その画像はこれ↓

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わりと着やすい感じなのでメンズレディース問わず行けると思う

興味がある方は是非に。

私が着ているような白の半袖Tシャツに限って言えばもう少し安価に抑えたいというご要望も受けられる(但し条件付き)ので一度ツイッターからでもご相談ください。(多分2000円ちょい位まで抑えられます)

 

 

 

と、今回はコンセプトのお話と宣伝で締めくくっておきます

以後もどうぞよしなに。

 

 

 

ファミリーコンプレックスでも構わない

何でもなく夜中に目が覚めたので少しだけお話を。

 

 

先日、というかついこの前実家に帰省しました。

実家に帰って何をする訳でもなく、いつも通りスマホを触ってぐだぐだと怠けて、時々家族と話をして母親の作ったご飯を食べて。

ここが我が家なのだなぁ、と今でも思います。

 

私は、実家と家族が大好きでした。

…正しくは好きだったし、今は好きという状態ですが。

 

どんなに自分が愚かでも、疲れていても、泥沼に沈んでいても、ここに帰れば私には居場所と家族がいました。

家族が大好きだから、必ずこの家に帰ってきていたし、だからこそ過去の暗い出来事はなるべく悟られぬように振る舞いました。

 

だから自分の事を心底嫌いになった時に、自分を受け入れてくれる家族すらも嫌いになった時期があります。

私は何も出来ず、ただこの田舎の家で腐ったように生きて、それで一体何になるのだ、と。

だから私は地元での仕事を辞め、実家を出ることにしたわけです(建前は独り立ちするべきだと思ったとかそんなんですが、まぁそういう考えも多少ありました)

 

1人になれば、嫌いな私のせいで家族が苦しむことも傷付くこともないと本気で思った

私は、私のせいで大好きな家族を嫌いになりたくなかった

きっとその一心だった。

 

1人暮らしは楽しいし、自分の好きな事をして好きなものを買って好きなものを食べられる。

ただそこに、私を馬鹿にしたり一緒に笑ったりしてくれる家族がいないことだけがちがって、それが最初は酷く辛かった。今でも時々辛いけどね。

寂しくて悲しくて虚しくて、泣くような日もありました。最近も稀にあります。ホームシックの子供かよって感じですね。(笑)

それでも泣く理由はよくわかってなくて、よく分からないまましばらくを過ごしていたと思います。

 

ある日。

仕事中に先輩と話していた時に「あなたは私に似ているね」と言われた事がありました。

先輩はずっと母親の言うことが絶対で、裏切れないし離れられないからとてもとても苦しんだし、とても恨んでいる…というような話をしてくれました。 

「貴方もよく母親が、家族が、と理由を着けているのを見ると自分を見てるようだよ」

なんて言うものですから、その日私は何も仕事が出来なくなりました。

 

恨む?苦しむ?そんなことは無かった。

少し似ているというだけでどうして同じと言われなきゃならないの?

どうして僕の家族を悪く言うの?

これが1か月以上頭から離れなかった。

そしてこう思った時に私は「自分の好きな家族を罵倒された」と思い、「家族が好きなんだ」ということを改めて思ったわけです。

嫌いなんかじゃなくて、大好きなんだってことに。

 

 

自覚するのにも、時間と手間が掛かりました。

だから今回の帰省は、それをずっと噛みしめていました

好きな家族が、一緒にご飯を食べながら笑っているその光景が、私にとって幸せだった。

 

 

 

 

 

 

実家に帰省することはあれど、出戻りすることはもうほぼないでしょう。私は、私個人として生きて、新しい道を歩んでいますから。

実家の名字の自分、ではもう無くなってしまった。

だけど根っこにある家族の優しさも、暖かさも、私は知っている。それこそ今泣きながらブログを書く位。

忘れないから、帰る場所があるから、私はまだ先に進めるのだと、思います。

 

 

そんな家族が大好きな私の話でした。

おやすみなさい。

 

 

 

承認欲求おばけと依存性

※この文章には性的でやや過激な内容が含まれております。敏感な方はご注意ください。

 

 

 

 

自分はよく○○おばけ、という表現を使います。よく使うのは承認欲求おばけというワードですが何でも応用が効くのでとっても便利です。ここ最近使いはじめてお気に入りになっております。

プロフィールにも8/7現在書き足したワードなのでちょっと承認欲求おばけとは、という話でも置いておこうかな…と思います

 

私は学生時代、いじめ等いろいろ面倒な経歴を経た結果「人に認められたい」と強く思うようになりました

認められたくて認められたくていろんな事をしましたが、それの最終地点が身体を売ることでした(良い子は真似しないでね)

 

得体の知れない男に抱かれている間は、その男に認められていると勘違いする。

そして自分よりも歳を重ねた男が自分の身体で快楽に落ちているという愉悦、支配感。

認められ、掌で転がしていると錯覚する。

そういう時代を何年か過ごしました。

 

まぁそんな風に歪んだ形で満たした承認欲求は歪んだものなので、「身体は愛して貰えても私を好いている訳ではない」と結局また自己嫌悪して、承認してくれる誰かを探し続けるというミラクル悪循環でした。

馬鹿ではありますが、当時の私はそうでもしないと救われなかったのだろうと思います。反省はするし後悔はすれど、これも一種の経験だったのだと思っています。

そしてとあるきっかけで身体を売ることを辞めざるを得なくなり、そのきっかけで私は心身共に崩壊していくこととなりました。

直接的に身売りが関係していた訳ではないにしろ、そういう思考回路や生き方をしていたからこそぶち当たった問題だったので、結局私を滅ぼしたのは承認欲求だった、というまぁくだらなくて悲しい結末です

今では心身共に崩壊していた頃から回復し、普通に働いて普通に遊んで普通に笑っています。

 

ですが。

身体は、頭は、心は、しっかりとあの感覚を覚えているんです。

テレビなんかで麻薬を辞めたけど依存性が抜けなくて困るとか、タバコを辞めたけどふとした時吸いたくなって一度吸うとまた癖になるとか聞いたことあるかと思います

あれと同じ感覚なのかな、と

 

あのときの私にとって、それは快楽だった。

効果が切れれば死ぬほど自己嫌悪と絶望という反動に苦しむことは分かっているのだけれど、麻薬のように快楽を求め、あの瞬間をまた欲する。

誰かに認められたい。誰かに認められたい。

 

ふと、あの頃を思い出すことがあります。

愚かでどうしようもなくて、それでも足りない頭で救いを求めていたあの頃に戻りたいと思うことはありません。

だけど、もし仮にまた自分がどこかでつまずいた時。どこかでダメになった時。もしかしたら私はまた一時の快楽の為に「あの頃」を取り戻そうとしてしまうかもしれない。身を滅ぼすのだとしても、そこに救いを求めてしまうかもしれない。

本当に馬鹿だと思います。

だけど絶対にしない、なんて言える自信はありません。

踏み外さないように、いつだって私は制御に必死なのかもしれません。

 

承認欲求おばけというワードは、「承認欲求」という重くてどろどろとしたワードを少しだけ軽くポップにしてくれます。

こうやって明るく振る舞えるうちは、私はそのおばけに取り憑かれていない証拠なのだと思っています。

きっと取り憑かれてしまったら、そんな余裕はなくなります。

だけど人は皆、承認欲求を少なからず持っているんだと最近なんとなく思うようになりました。皆が持っている気持ちなのだから、蔑ろにしてしまうのは勿体ないし、それこそ違和感がある気がするんです。

悪いものばかりではない。認められたいからこそ努力する事や人だって居るはずなんですから。

そういう気持ちを悪者にしてしまわない為のポップな言い回し…なのかもしれません。

 

 

そうして今日も、私は承認欲求おばけと仲良くやっていくのでした。

おしまい。