11/15Twitterまとめ*後出し
https://twitter.com/_kou_akagi_/status/1062727439833387008
─────────────
最近のTLで見られる「謝罪文化」の気持ち悪さ|明城こう @kouchan_u|note(ノート) https://t.co/8vraG3t1na
書きました。
整理するためにLINE,TL両方から離れた。許せ。
投げなくて良い一石を投げます。
どう思うかは皆次第です。良心に任せます。
────────────────────────
このnoteやTwitterを受けての自分のTwitter。
忘れないためにメモ代わりとして。
僕はこのnoteで言うところの「後出しをしてきた」人間なので、その立場として言うなら
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
僕が後出しをしている自覚はある。卑怯だと思う。でも、そうでもしないと許せなくて受け入れられなかった。被害者になることで僕は救われた。
だけど、だからと言って僕は後出しをした自分を許すことは出来ない
大っぴらに死体蹴りのように特定の誰かを分かる形でぶん殴ったことはない。だけど僕は、現実で、一対一のコミュニケーションで、その加害者を使って被害者になることで取ってきたマウントがある。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
ああ最低だとも。自覚してる。だから、言い出したこの自分の口を、頭を、体を、心を、僕は当分許せない
被害者面をしていれば、周りは私をどう見るか、を知っていた。最初は本当に被害者だったからね。それを利用した。被害者であることを利用し出した時点で、僕はもう僕に罪を与えてしまったのだと思っている。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
そしてこうやって、この場でこんな話をしても、贖罪にもならないというのに。
僕が、僕を許せるとしたら、僕がねじ曲げた発言全てを取り消して、都合良く覚えている記憶をちゃんと縫合して、真実を言うこと那のだろう。嘘をついている訳ではないが、それくらい根本から直さないとどうにもならないような気がする。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
そして、もしそれが実現した時、私は私でいられる自信がない。
誤字ってるけど勢いで続けるね
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
私は、私を守ろうとして悪いことをしてきた。きっと今もしている。だから許せない。どれだけ救われたかったとしても、誰かを踏みにじることは許されることじゃない。
真実を話せば嫌われるとか、そういう心配もきっとあったのだろうけど。
それよりも何よりも、自分の人生の汚点に、汚点を重ねて、そうやってずっと愉悦と快楽に浸っていた自分を知っているから。認めて、繕わなくなるということは、そういう自分を呑み込むことだから。否定はしない。僕はどうあがいても「被害者であり加害者」だった。それを許してくれなんて言わない。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
だけど、誰かに罰されたとして、私は自分が許されるとか変われるとか、微塵も思えないんだ。こうやって過去を綺麗に整形して、まるで何事もなかったかのように話していた自分が無くなるわけじゃないんだから。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
だとすれば、私はどれだけ自分を責め続ければ終わる?終わらない。
誰かに許されて、それで終わる問題じゃないんだ。もう忘れたら?とか許してあげたら?なんて言われたことも幾度かあったけど、許したら、どうなる?
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
悪かった自分を許して、また愚行を行う?行った罪は消える?悪行は無かったことにはならない。話した言葉は消えない。その事実に苦しむのは誰?
それは私であり、私を陥れた加害者であり、私に陥れられた被害者だろう。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
まともになった思考回路だからこそ思う。私は到底許されない。この呟きすら「後出し」。結局は自分の保身でいっぱいいっぱいなのだから。
それでも、許されなくても、笑って生きることが出来ないわけじゃないのも知っている。
私はこのまま生きれば永遠に私を許せない。だけどだから罪の意識に溺れて生きることや笑うことを放棄したわけじゃない。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
幸せになりたいし、やりたいことはある。腐った性根を叩き直すには少々時間は掛かるけど、日々を穏やかに生きる覚悟はしている。
快楽に依存した過去を、罪を重ねた過去を忘れず。
一生苦しむ覚悟をした。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
誰かに話して、下ろせる荷物は下ろしている。
この身の丈に合う程度の「覚悟」。
自分が嫌いな自分すら背負う意味。
二度と自ら落ちたりしないと決めただけの話。
それでも時々、依存していた快楽と刺激が燻ることはあるけどね。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
麻薬やタバコの依存と近いんだろう。一度覚えた快感をそう簡単には忘れない。
だから覚えたまま生きなければ。
きっとまたこいつは道を踏み外す。
罪は背負っている。逃げ出すのは贖罪ではない。
おしまい。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
まぁ要約すると「自分は弱いですがそれでも幸せになれます」ってことか
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
僕もだいぶ落ち着いたもんですね。ふふ。
— まきゅ (@maki102_ym) 2018年11月15日
▼僕はこのnoteで言うところの「後出しをしてきた」人間なので、その立場として言うなら
僕が後出しをしている自覚はある。卑怯だと思う。でも、そうでもしないと許せなくて受け入れられなかった。被害者になることで僕は救われた。
だけど、だからと言って僕は後出しをした自分を許すことは出来ない
▼大っぴらに死体蹴りのように特定の誰かを分かる形でぶん殴ったことはない。だけど僕は、現実で、一対一のコミュニケーションで、その加害者を使って被害者になることで取ってきたマウントがある。
ああ最低だとも。自覚してる。だから、言い出したこの自分の口を、頭を、体を、心を、僕は当分許せない
▼被害者面をしていれば、周りは私をどう見るか、を知っていた。最初は本当に被害者だったからね。それを利用した。被害者であることを利用し出した時点で、僕はもう僕に罪を与えてしまったのだと思っている。
そしてこうやって、この場でこんな話をしても、贖罪にもならないというのに。
▼僕が、僕を許せるとしたら、僕がねじ曲げた発言全てを取り消して、都合良く覚えている記憶をちゃんと縫合して、真実を言うこと那のだろう。嘘をついている訳ではないが、それくらい根本から直さないとどうにもならないような気がする。
そして、もしそれが実現した時、私は私でいられる自信がない。
▼誤字ってるけど勢いで続けるね
私は、私を守ろうとして悪いことをしてきた。きっと今もしている。だから許せない。どれだけ救われたかったとしても、誰かを踏みにじることは許されることじゃない。
真実を話せば嫌われるとか、そういう心配もきっとあったのだろうけど。
▼それよりも何よりも、自分の人生の汚点に、汚点を重ねて、そうやってずっと愉悦と快楽に浸っていた自分を知っているから。認めて、繕わなくなるということは、そういう自分を呑み込むことだから。否定はしない。僕はどうあがいても「被害者であり加害者」だった。それを許してくれなんて言わない。
▼だけど、誰かに罰されたとして、私は自分が許されるとか変われるとか、微塵も思えないんだ。こうやって過去を綺麗に整形して、まるで何事もなかったかのように話していた自分が無くなるわけじゃないんだから。
だとすれば、私はどれだけ自分を責め続ければ終わる?終わらない。
▼誰かに許されて、それで終わる問題じゃないんだ。もう忘れたら?とか許してあげたら?なんて言われたことも幾度かあったけど、許したら、どうなる?
悪かった自分を許して、また愚行を行う?行った罪は消える?悪行は無かったことにはならない。話した言葉は消えない。その事実に苦しむのは誰?
▼それは私であり、私を陥れた加害者であり、私に陥れられた被害者だろう。
まともになった思考回路だからこそ思う。私は到底許されない。この呟きすら「後出し」。結局は自分の保身でいっぱいいっぱいなのだから。
それでも、許されなくても、笑って生きることが出来ないわけじゃないのも知っている。
▼私はこのまま生きれば永遠に私を許せない。だけどだから罪の意識に溺れて生きることや笑うことを放棄したわけじゃない。
幸せになりたいし、やりたいことはある。腐った性根を叩き直すには少々時間は掛かるけど、日々を穏やかに生きる覚悟はしている。
快楽に依存した過去を、罪を重ねた過去を忘れず。
▼
一生苦しむ覚悟をした。
誰かに話して、下ろせる荷物は下ろしている。
この身の丈に合う程度の「覚悟」。
自分が嫌いな自分すら背負う意味。
二度と自ら落ちたりしないと決めただけの話。
辛くても、苦しくても、例え罪人だろうと
生きて行かなきゃなりませんから。
だったら笑って生きるよ。