嫉妬するにはするけれど

 

どうも。

他人の才能に嫉妬するのが得意なわたしです。

 

世の中には手の届く所にいる凄い人と、かろうじて目視できる所にいる凄い人がいると思っています。

かろうじて目視、っていうのは例えばイケメン俳優さんとかスーパーセレブタレントさんとか大御所お笑い芸人さんとか。雲の上の人。

一方で手が届くといえば、分かりやすいのはYouTuberさんや読者モデルさん、あとはTwitterで時々流れてくるような絵を描く方とか。

(この辺の定義には個人差があると思いますが)

 

私は嫉妬するのが得意です。

手の届く凄い人はもちろん、雲の上の人ですら妬ましく感じてしまうようなこともあります。

元々私は俗にいう器用貧乏でした。なんでもそつなくこなせる代わりに、大抵のことはそれなりにしかしない、出来ない。(ここでのしないと出来ないはほぼ同義です)

何でも80~90点は取れるので、大抵の人からは羨ましいと言われます。故に最初はわたしが教える側、妬まれる側だということも少なくありません

だけどそれが100点になることは永遠にない。

これは私の根本に完璧主義が根付いているというのも大きな要因ですが、それよりも大きな要因は「自分 だけ は特別」だと思っていたことだと思います。

 

自分は特別。だから何でもできる。

出来ない自分は特別で無くなってしまう。

ならば「出来ない」のではなく「やらない」を選択する。

やらなければ出来ないことは分かりませんしバレません。私は何でもそつなくこなせる私のままでいることが出来る。

こういう生き方をしてきたことを時々良かったなぁと思うこともありますが、圧倒的にやらなければ良かったと思うことの方が多い日々です。

 

わたしは、「やったものは勝つ」というワードをここ5年くらい痛感しています。

(言い方は悪いですが)どんなに下手でも拙くても、やっている人間っていうのは好印象で人から認められることが多いと思うのですが、このブログを読んだ方はどう思うのでしょうか。

(この話は少し前にTwitterでもしておりました)

やらなかったものが負ける、という意味ではないことも補足しておきます。やらなかったことが正解になることもあると思うので。

 

 自分の中に熱意があるのにそれを何らかの理由で蔑ろにしてしまうことは、もはや自分を殺しているのと同じ事だと思うのです。

やらないことを選択し続け、逃げることをだけを選択し続けたとしたら、その人の心は恐らく死んでいく。(経験談)

逃げることは楽ですが、逃げるだけでは終わらないこともある。立ちはだかる壁にぶつかる必要はなくても、回避したり調べることで前に進む道はあるかもしれない。 

だけど「調べても回避しても分からなかったら?」が勝ってしまうと、その手足と頭は回転を止めます。

 

 

自分がやりたいことを、言いたいことを、押し込める理由は何でしょうか。

私の場合はプライドでしたが。

 

今でもそのプライドはあります。私は特別でいたい。だけど、それと同時に誰もがそう思っているという可能性を知りましたし、実際問題「人類皆特別」なのです。

特別でありたいのなら、特別であることに固執してしまわない。

皮肉だと思いますが「私の結論」はこれでした。

 

 

今も、よく嫉妬をします。

他人の才能に触れると、私の心はひどく掻き乱されます。それが自分がやっていたことやっていることやりたいことなら尚更。

私の原動力は負のエネルギーです。嫉妬。

それでいい。そんなもんで動けるならいくらでも嫉妬しましょう。

 

妬ましい気持ちも、羨ましい気持ちも、決して悪ではないと分かるまでに時間は掛かりましたが、結果なんとかまとまっているのが今の自分だと時々思います

 

今日も明日も、きっと貴方が

ちやほやされていることに

仕事をしっかりこなしていることに

何不自由ない暮らしをしていることに

才能や努力を実らせていることに

綺麗な服をまとっていることに

整ったスタイルと顔立ちでいられることに

笑顔でいることに

私は変わらず嫉妬しているのでしょう。

 

 

 そういう私です。